リムジンバスの中で見た光景
先日、8日間の韓国旅行から帰ってきました。慣れない土地を自分の足で歩き、市場の喧騒や街の匂いを肌で感じ、普段の生活では味わえない刺激をたくさん受け取った旅でした。数ある出来事の中でも、とりわけ心に残ったのが、旅の最終日、空港へ向かう高速リムジンバスの中で目にした、ある光景でした。
一つ前の座席に座っていた若い男性が、膝の上でノートPCを開いていたのです。画面には黒い背景に英数字がひたすら並ぶ、いわゆるターミナル画面。おそらくClaude Codeのような、AIにコードを書かせるツールを操っているのだろうと思いました。
指先は迷いなく画面の上を滑り、時折画面がさっと切り替わり、また文字が流れていく。バスが揺れても、外の景色が流れても、彼の視線は画面から離れることはありませんでした。エンジニアの方なのでしょう、それはもう特別なことではなく、当たり前の日常の風景であるかのようでした。
その光景を見ながら、私は「ああ、今はもうAIを使いこなすことが特別なことではなく、当たり前の時代になったのだな」と、しみじみ感じていました。私自身も、普段の発信や講座作りの中でAIを頼りにする場面がどんどん増えてきているだけに、余計にそう感じたのかもしれません。ほんの数年前までは、コードを書くといえば分厚い専門書を横に置いて、ひとつずつ手で打ち込んでいくものだったはずです。それが今では、対話をしながらAIと一緒に作り上げていく時代になっている。その変化のスピードに、改めて驚かされた瞬間でした。
彼にとってはきっと、何気ない移動時間の一コマにすぎなかったのでしょう。けれど私にとっては、旅先で偶然目にした一つの光景が、「今、世界はどこまで進んでいるのか」を実感させてくれる、静かながらも強烈な出来事でした。飛行機の待ち時間でも、移動中の隙間時間でも、当たり前のようにAIと向き合っている人がいる。そんな時代に、私たちはもう生きているのです。

江南駅、行列のできるチャジ―
一方で、旅行中にはこんな出来事もありました。
江南駅の近くにできたばかりの中国茶のお店「チャジ―」に立ち寄ったときのことです。人気だとは聞いていましたが、実際に行ってみると、入口の外まで長い行列ができていました。世界中の人にもその美味しさが知られているというチャジ―。その人気ぶりを目の当たりにして、私は素直に驚きました。
炎天下の中、列に並びながら「なぜこれほどまでに人を惹きつけるのだろう」と気になっていました。SNSで話題になっているお店は数あれど、実際に足を運んでこれほどの行列を見ると、噂とは違う本物の熱量を感じます。並んでいる人たちの顔ぶれも、地元の若い人だけでなく、観光客らしき人々も多く、まさに老若男女、国籍を問わず愛されているのだと感じました。
ようやく店内に入ると、洗練された内装の中に、大きな茶葉の壺がいくつも並んでいて、店員さんが手際よく茶葉を計り、淹れていく様子が見えました。行列の間、待ちくたびれる気持ちもありましたが、実際に店内の様子を目にすると、この一杯にかける丁寧さが伝わってきて、待った甲斐があったと思わせてくれる空気がありました。
順番が来て、店員さんにおすすめを尋ねると、ジャスミンティーを勧められました。
ジャスミン茶に隠された手仕事
一口飲んで驚きました。ふわりと立ちのぼる香りが、これまで飲んだことのあるどのジャスミンティーとも違ったのです。甘さと爽やかさが幾重にも重なっていて、飲み終えたあとも余韻がしばらく口の中に残っている。まるで香りそのものに、厚みと奥行きがあるような感覚でした。
気になって調べてみると、その香りの秘密は、想像以上に手間のかかる工程にありました。早朝に摘んだジャスミンのつぼみを、干した茶葉の上に重ねて香りを移す。この作業を、なんと何十回も繰り返すのだそうです。つぼみの鮮度が保たれているうちに、来る日も来る日も、人の手で何度も何度も重ねていく。花が開くタイミング、香りが最も立つ瞬間を見極めながら、機械ではなく人の感覚だけを頼りに作業が進められる。
機械では到底再現できない、人の手と時間だけが作り出せる香りなのだと知り、あの一杯のお茶の裏側にある膨大な手仕事に、思わず背筋が伸びる思いがしました。たった一杯のお茶を飲むという、ほんの数分の出来事の背後に、これほどまでの手間と時間が積み重なっていることに、改めて心を打たれたのです。
もし効率だけを求めるなら、香料を使って一瞬で香りをつけることもできるはずです。けれど、そうして作られた香りと、早朝のつぼみを何十回も手作業で重ねて作られた香りとでは、口にしたときの奥行きがまるで違う。飲んだ瞬間に「あ、これは本物だ」とわかるような、説明のいらない説得力がそこにはありました。

AIと手仕事、二つの光景が教えてくれたこと
このとき、リムジンバスで見たあの黒い画面と、目の前のジャスミン茶が、私の中でひとつにつながりました。
AIはたしかに素晴らしい技術です。膨大な情報を瞬時に処理し、コードを書き、文章を作り、私たちの仕事や生活を大きく助けてくれます。私自身、日々の発信や講座作りの中で、その恩恵をたくさん受けています。もしAIがなければ、今のような形でコンテンツを作り続けることはできていなかったかもしれません。
けれど、早朝に摘んだ花のつぼみを、何十回も手作業で茶葉に重ねていくという、この途方もない手間と時間の積み重ねだけは、AIにはどうしても作り出せないのだと思います。どれほど技術が進んでも、人が手をかけた分だけ深まる香りや味わいというものは、きっと別の場所にあるのでしょう。効率化できるものと、効率化してはいけないもの。その両方が、この世の中にはちゃんと存在しているのだと、あの一杯のお茶が教えてくれた気がします。
どんなに文明が発展し、便利な世の中になっても、こうした手間暇をかけた価値あるものは、これからもずっと人を惹きつけ続けるのだろうと、つくづく感じました。
考えてみれば、こうした「手間暇でしか生まれない価値」は、お茶に限った話ではないのだと思います。長い時間をかけて熟成させるお酒、何年も土を育て続けて実る果物、代々受け継がれてきた職人の技。効率とは真逆の場所にあるからこそ、簡単には真似できず、簡単には奪われない。そういうものが、世の中にはちゃんと残り続けているのだと、江南の行列がふと教えてくれたように思います。
便利さもまた、旅の恵み
ちなみに旅行中、私自身もノートPCを持ち歩いていたのですが、韓国のカフェはどこへ入っても当たり前のように電源が用意されていて、日本のように電源を探し回る必要がありませんでした。こういう「便利さ」もまた、旅の中で確かにありがたいものでした。
便利になっていくこと。そして、手間暇をかけることでしか生まれない価値があること。この旅行を通して、その両方が、対立するものではなく、これからも変わらず私たちの生活の中で共存し続けるのだろうと、実感した出来事でした。
リムジンバスの中の黒い画面と、江南の行列の先にあったジャスミンの香り。この二つの光景は、一見まったく関係のない出来事のように見えて、実は同じ一つの問いを私に投げかけてくれたように思います。それは「便利さに流されるだけでなく、自分は何に手間暇をかけて生きていきたいか」という問いです。
この「AIにはできない手間暇の価値」という気づきは、実は私自身のコンテンツ制作にも深く関わっています。次回は、この気づきを普段の講座作りや発信にどう活かしているか、具体的にお話ししたいと思います。



